大分交通 耶馬渓線 廃線跡を巡る旅 後編(野路⇔守実温泉)
皆さんこんにちは。2021年10月某日 前回の記事にて大分交通 耶馬渓線の最後まで残っていた中津⇔野路 間について書いたのですが(https://kendai1973.hatenablog.com/entry/16
)今回は後編として一次廃止区間の野路⇔守実温泉 間について書いていきます。この区間は山間部や河川の険しい地形を切り拓いた部分で非常に見所も多い区間です。
野路 駅跡
まずは全廃時には終着駅として営業していた野路 駅跡。嬉しくなるくらいにはっきりと遺構が残っていました。ここからは名所•見所が豊富な耶鉄のメイン区間に入って行きます。
洞門 駅跡
洞門の駅跡です。周辺ではっきり遺構とわかるものは確認出来ませんでしたが、この建物だけ様子の違う佇まいです。昔は貨物列車も運行していたとの事、ならばこの煉瓦造りの倉庫も納得がいきます。今はJAの直売所として営業しています。駅跡付近らしく郵便局もありました。
羅漢寺 駅跡
羅漢寺の駅跡。先程の洞門駅までは山国川の河口に向かって右側の河岸を走っていたのが、どこかを渡って左の河岸を走ります。訪問時は遺構らしきものは一つも残っていませんでしたが、色々調べてみたけど場所は間違いなくここです。
駅名標が立っている場所から国道212号線を渡ったところに羅漢寺橋があります。当時の乗客は駅を降りてこの石橋を渡り、名刹 羅漢寺を訪れたことでしょう。歴史的建造物の羅漢寺橋を見るだけでも価値がありますよ(^^)
冠石野 駅跡
続いては 冠石野(かぶしの)駅跡。現在では対岸の国道が往来の主流ですが、当時はこちらが主流だったようです。訪問時には周りにほぼ何もありませんでした。樹木が多くて木洩れ日がよく映えます。線路跡は平坦なサイクリングロードなのでとても走り易そうな感じがします。
耶馬渓平田 駅跡
続いて 耶馬渓平田 の駅跡、旧駅舎はサイクリングロードの休憩所として活用されています。ホームといい石碑といい、鉄道ファンとしてはこんなもの達を残してくれて感謝しかないです。(^^)
この旧駅舎内にはかつての耶鉄の写真が飾られていて、鉄道ファンのテンションを上げてくれます⤴️ そして一棟だけ明らかに場違いのような洋館風の建物、かつては郵便局として使用され、どうやら現在では地域のイベント等で開館するみたいです。耶馬渓平田駅があった頃は駅前も賑やかな雰囲気だったことでしょう。
津民 駅跡
続いて 津民(つたみ)の駅跡地。訪問時には駅名標も立っておらず、山間部の小さな一角に出来た駅といった感じでしょうか?ほんとに鉄道が通ったのか?と思うくらいですが、トンネルや橋脚を見ると納得してしまいます、いやぁ凄い所に駅跡がありました。この橋は第二山国川橋梁と呼ばれ、廃線跡の最大の見所です。先程の津民から次に訪れる耶鉄柿坂との間にある鉄道橋でした。過去に何度か水害に見舞われたものの、当時の面影を残して今に至ります。この曲線、本当に美しいです。現在ではサイクリングロードとして通行は可能です。(メイプル耶馬渓サイクリングロードのご案内はこちら→)https://nakatsuyaba.com/?introduce=cyclingroad
耶鉄柿坂 駅跡
続いては 耶鉄柿坂の駅名標です。便宜上 河岸のサイクリングロードに立っていますが、実際の駅跡地は一段内地に上がった場所にありました。
サイクリングロードを散歩していた老婦人にお話を伺ったところ、この旅館脇の道路が線路でタクシー会社の敷地が駅ということでした。この道路の先には住宅が建てられており、こんな場所にも鉄道の歴史が隠されていた事に驚きです。そして「耶鉄柿坂」という駅名、普通なら競合する路線との駅名を区別する為に会社名を駅名につけがちなところ、ここにライバル会社はありません。当時も今もここから深耶馬渓や豊後森、日田方面のバスが発着するターミナルの役割もあった為に耶馬渓観光の中心として”耶鉄”柿坂という駅名になったものと推測します。
下郷 駅跡
続いて下郷の駅跡。ここも駅舎がサイクリングロードの休憩所として活用されています。
ホームや駅舎があるだけで実際には見た事のない耶鉄の車両を脳内に再生することができます。
江渕 駅跡
続いては江渕の駅跡地です。特段見るべきものはありませんでした。周囲は何軒かの住宅が点在しています。ここでもメインストリームは対岸の国道です。
中摩 駅跡
続いては中摩の駅跡地です。ホームの土台が今でもしっかり残っていました。当時の風景はどのようなものだったでしょうか?今では鉄道があった事すら考えられない風景です。
白地 駅跡
続いては白地の駅跡地。今では民家になっていました。江渕〜守実温泉 間は河岸から少し離れた場所に線路が敷かれていたので田園風景が広がる景色でした。
ホームの土台に加えてスロープや手すりまで残されていました。おそらくはここに住われている住民の方の維持清掃があっての事でしょう。感謝感激ですね🙏
宇曽 駅跡
続いては
宇曽の駅跡地です。今となってはサイクリングロードが線路跡である事すらとても信じられないです。住宅もまばらになってきました。次はいよいよ終着駅です。
守実温泉 駅跡
そしてかつての終着駅であった守実温泉の駅跡地です。当時の建物ではないでしょうが商工会館らしき場所にひっそりと駅名標が建っていました。持て余し気味の広い駐車場が駅の敷地だった事を感じさせてくれます。周囲には役場の支所や、温泉のある宿泊施設、また小さいながらも商店街の街並みもあって現在でも営業しているお店がありました。今でも多いとはいえないけどバスの発着場として機能しており、地域交通の中心地となっています。(守実温泉、山国地域を走る大分交通のバスの案内はこちら→https://www.oitakotsu.co.jp/bus/rosen/yabakei.pdf?1637855384421)
まとめ
今回は大分交通耶馬渓線の廃線跡を巡る旅として前編 後編と2部構成にして書いていきました。中津市街地から洞門 耶馬渓等の名所を走っていた鉄路もモータリゼーションには勝てずに廃線となりました。残念ではあるけど、中津駅の高架化に伴う費用分担を求められて、廃線という選択になった事。廃線理由で1番残念に思うのは、災害による鉄路の分断により復旧が見込めず止む無く廃線というものですが、そうはならずに済んだ事で、今ではサイクリングロードとして跡地や遺構を巡る事が出来ています。現在のバスのダイヤを見てもとても鉄道を維持できる輸送量ではないので廃線には良い潮時だったと思いました。最後に線路跡を巡るメイプル耶馬渓サイクリングロード(https://nakatsuyaba.com/?introduce=cyclingroad)そして当時の車両を引き取ってレストランと宿泊施設を営業している汽車ポッポ(https://kisyapoppo.com)に皆さんも機会が有れば是非訪れてみてください。長々と書きましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
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