西鉄津屋崎線 廃線跡(現 西鉄貝塚線 廃線区間)訪問の旅
皆さんこんにちは。2021年12月某日、現在の西鉄貝塚線という路線は2007年に末端区間が廃止となり現在の路線になりました。それまでは西鉄宮地岳線という名称で、津屋崎という海岸線に沿った場所まで伸びていました。今回はその廃線区間 津屋崎⇔新宮を巡って行きたいと思います。訪問時点で14年経った廃線区間は一体どうなっているのか?楽しみしかないですね👍
以前に書いた 西鉄 貝塚線 乗車記も 良かったら見てください🙏https://kendai1973.hatenablog.com/entry/15_6
今回の内容はこんな感じです↓
津屋崎 駅跡
西鉄宮地岳線としての終着駅だった津屋崎駅。住宅街の中に鉄道延伸を記念した石碑が建てられていました。この石碑の周りには遺構らしきものは見つけられなかったです。
石碑の隣は国道495号線が通っていて、色んな店舗も多く見かけました。石碑前に立地している新浜山公園の案内板には、未だに宮地岳線の記載がありました🚞
宮地岳 駅跡
宮地岳駅の跡地はかなり宅地に転用されていて、バス停付近の古い木造住宅が僅かに駅前の雰囲気を感じさせてくれます。この道の向こうに「光の道」で有名な宮地岳神社があり、多くの参拝客がこの道を通ったことでしょう。
駅跡地には見るべきものは残っていませんでしたが、付近に立つマンションの脇道にはまだ開発の手がつけられていない線路跡が残っていました。
(宮地岳神社)
多くの参拝客を運んだ西鉄宮地岳線、せっかくなので路線名の由来でもある宮地岳神社に参拝してきました。1年のうち2月と10月の数日間しか見られない「光の道」人気の観光スポットでした。(宮地岳神社のご案内→https://www.miyajidake.or.jp)
西鉄福間 駅跡
西鉄福間の駅跡地は、住宅街の中の児童公園のような形になっていて、この一角だけが住宅に転用されずに残っていました。 この跡地の前には かつての駅前の雰囲気を感じさせる店舗兼住宅の建物がありました。
花見 駅跡
閑静な住宅街の中に不自然な立ち入り禁止エリアと公衆電話ボックス。西鉄花見駅は駅跡も線路跡もはっきりわかる形で残っていました。
先程の西鉄福間の駅跡から続く線路跡は手をつけられずに、ほぼそのまま残っていました。廃線ファンにはたまらないですね👍
西鉄古賀 駅跡
続いて訪れたのは西鉄古賀の駅跡。こちらも住宅街の中に線路跡がガッツリ残っていました。
この辺りは線路跡の両脇を往来できるように一部開放しているエリアがあります。それにしても廃線から14年経ってもまだ手付かずの状態なので、別の案件での転用目的があるのでしょうか?
先程の西鉄福間から西鉄古賀に向かう途中に宮地岳線の橋梁を見つけました。しっかり「西日本鉄道」の印字が確認できます👍 さらに、宮地岳線と並行している国道495号線には現在存在しない「西鉄古賀駅前」の交差点がありました。地域住民の方にはまだまだ馴染み深い地名でもあるようです。
古賀ゴルフ場前 駅跡
古賀ゴルフ場前の駅跡地。ゴルフ場の敷地と住宅街が隣接していて、その境界に古賀ゴルフ•クラブの入口があります。
ゴルフ場手前の道路か? ゴルフ場内の敷地の道路が線路跡と思われます。
先程の古賀ゴルフ場前の駅跡から西鉄新宮駅に向かう道中にも防砂林に囲われた線路跡を確認できます。
西鉄新宮駅
閑静な住宅街の中に突然現れる西鉄新宮駅、現在では西鉄貝塚線の終着駅です。
分断された西鉄新宮駅の反対側には、路線バス•コミュニティバスの発着場となり地域住民の足となって走っています。
まとめ
今回訪れた西鉄貝塚線の廃線区間は、地方の3セク路線のような何もない田園地帯を走る路線ではなく、駅の周りには住宅街も高層住宅も建っている場所もあり、廃線になったのが不思議な印象でした。路線の大部分がJR鹿児島本線と並走していて、かたや特急も快速列車も走るドル箱路線に対し、西鉄路線は単線の老朽車両で輸送力増強も速達化も見込めず利用者離れが進み赤字が続いてやむなく廃線となったようです。西鉄古賀〜西鉄福間 間の線路跡は宅地転用されずにそのまま残っており、将来的にどのように活用されるのか気になるところです。JR線との駅名バッティングを避ける為の西鉄◯◯という駅名も、廃線となって駅自体がなくなっても地域に根付いた地名として存在しているのも印象的でした。長々と書きましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。