呑み鉄 ひとり旅 🚃

様々な鉄道の旅の記録を残すブログ

大分交通 耶馬渓線 廃線跡を巡る旅 前編(中津⇔野路)

皆さんこんにちは。2021年10月某日

大分交通耶馬渓線という鉄道をご存知でしょうか?1913年(大正2年)に日豊本線中津駅から耶馬渓等の観光地を通り内陸部の守実(もりざね)温泉駅を結んだ鉄道で、1971年に末端区間の野路⇔守実温泉 間25.7kmが廃線、4年後の1975年(昭和50年)に残りの区間、中津⇔野路 間10.4kmが廃線となり、耶馬渓線としての歴史に幕を降ろしました。廃線後はサイクリングロードとして整備されていて鉄道遺構も残っており本項ではこの廃線跡を巡る旅として記録していきたいと思います。駅数も19とボリュームがあるので本稿では中津駅⇔野路を前編として取り扱い、野路⇔守実温泉 間を後編として書いていきます。(詳しくはこちら→https://kendai1973.hatenablog.com/entry/20

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↑今回の記事にするにあたり、偶然にも耶鉄に関する書籍を図書館にて発見して読み漁りました。発行元にも連絡を入れて、今回は表紙だけ載せました。興味ある方はこれを参考にしていただければ幸いです🛤(書籍の案内はこちら→)http://www.godobunka-c.jp/wp-content/themes/bunkacenter/doc/premium-book.pdf

 

内容はざっとこんな感じです↓

中津駅

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起点の中津駅↑は東口、JR九州日豊本線の駅です。福沢諭吉先生の像が県民を常に見守ってくれています。


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↑こちらは中津駅西口、バス乗り場の風情が昭和っぽくて何となく鉄道の停留所があったような気がします。


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中津駅西口から徒歩で16分程の場所に国道213号線のオーバーブリッジがあります。かつて耶馬渓線の跨線橋だった事を示す看板?標識?がありました。植物に絡まれて見えにくいですが💦

(古城)駅跡f:id:kendai1973:20211004134413j:image
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古城駅跡、ここは次に訪れる八幡前駅が出来る前まで営業し、八幡前駅が開業してからは廃駅になりました。そういった理由からでしょうか?ここに開業の記念碑が建てられています。小高い丘を登った先の住宅街の中に人知れず存在してるので、気付く人も少ないのではないでしょうか? 場所については、写真のバス停付近にあります。


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廃線前の中津の隣駅であった八幡前駅跡、先程の古城駅碑は徒歩1分の場所です。ここら辺は大分県中津市の中心部から程近く、宅地化が進んでいて遺構らしきものは残っていません。大分銀行大貞支店の駐車場🅿️が何となくそれっぽい跡地で、今となれば中心部から離れた場所に銀行の支店??というロケーションが、ここに駅があったと思われます。八幡前という駅名なので近くに八幡神社があるかと思ったのですが、八幡公園は近くに存在していて大貞八幡宮(大貞薦神社)がやや離れた場所にありました。昔の事はよくわかりませんがこの辺り一帯が八幡宮に何らか関係する敷地だったものと推測します。

大貞公園 駅跡

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f:id:kendai1973:20211005180852j:imagef:id:kendai1973:20211023234421j:image
f:id:kendai1973:20211023234425j:image続いての大貞公園駅、ここも遺構のようなものは見つけられませんでしたが、この敷地がいかにも単線から列車交換するためのホーム形状で、尚且つこの敷地が元の事業者である大分交通の管理地であるので、ここが大貞公園駅だったと思われます。大貞公園は桜🌸の名所として県民に親しまれ、かつては敷地内に中津競馬場がありました。こういった行楽地に乗客を運んでいたのでしょう。

上ノ原 駅跡

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続いては上の原駅の跡地、ここには駅名標が建てられています。ここまで来ると市街地からは外れて周囲の住宅も少なくなります。当時はどういった町だったか知る由はありませんが、今は国道10号線バイパスを渡ってすぐの立地、当時から相当モータリゼーション化も進んでいたでしょう。

諫山 駅跡

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続いては 諫山駅の跡地、先程の上の原駅跡とほぼ変わらない景色、違うのは東九州自動車道が立地している事。路線の廃止から24年後の1999年(平成11年)に開通して現在に至ります。

真坂 駅跡

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続いては真坂駅跡地。こちらもほぼ変わらずの風景。県道675号線に沿って駅がありました。というより耶馬渓線に沿って県道が整備されたという方が正しいでしょう。民家もまばらになってきました。

野路 駅跡

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f:id:kendai1973:20211111124821j:image耶馬渓線が廃線となった最後の終着駅、野路駅。ホームがはっきりと残っていました。中津市なのか観光協会なのかあるいは大分交通なのかわかりませんが、かつての姿を写したモニュメントが飾られていました。f:id:kendai1973:20211111130245j:image

国道212号線を跨ぐ形で跨線橋がありました。写真では右側の渡ってすぐの場所に野路駅跡があります。この跨線橋はわりと最近まで廃線時の鉄橋がそのまま残されていましたが、さすがに老朽化のリスクからか、サイクリングロードとしても活用されているので新しい橋に建て替えられました。f:id:kendai1973:20211111130238j:imageこの先に続いた線路は耶馬渓の名所を巡っていきました。当時から相当なモータリゼーション化が進み、過疎化が進んでいた観光地の路線を廃止して、中津市街地ギリギリのこの駅まで残したのは巡ってみて納得がいきました。この辺りもこの先の廃線跡もメイプル耶馬渓サイクリングロードとして整備されているので皆さんにも訪ねて欲しい場所です。(サイクリングロードに関する案内はこちら→)https://nakatsuyaba.com/?introduce=cyclingroad

まとめ

最後に中津市街地に耶馬渓線の車両を保存し、レストランや宿泊施設として営業している「汽車ぽっぽ」という複合施設があります。f:id:kendai1973:20211111132819j:image
f:id:kendai1973:20211111132832j:imageここは是非一度は訪れていただきたい素敵な場所です。(汽車ぽっぽに関する案内はこちら→)https://kisyapoppo.com/

まずは一次廃止後に残った 中津⇔野路 間を前編として今回の記事に書きました。後編として野路⇔守実温泉 間を書いていきたいと思います。耶馬渓の名所を巡る魅力満載の路線跡です。長々と書きましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。